東京都にある羽田空港(東京国際空港)は,1931年(昭和6年)に日本初の国営民間航空専用飛行場として誕生した. 当時の飛行場は,300m×15m の滑走路 1本だけの小さな飛行場だった. その後,拡張工事が行われ,1939年(昭和14年)には 800m×80m の滑走路 2本となった. 1941年(昭和16年)からの第二次世界大戦(太平洋戦争)参戦により,民間航空は事実上運航停止,羽田空港も軍用飛行場となる. 1945年(昭和20年)8月の終戦後は,連合国軍の米軍管理下となり,1946年(昭和21年)に,首都圏における米軍基地とするため,2100m×45m の A滑走路と,1650m×45m の B滑走路が整備された.
↓左側が1955年ごろの羽田空港. 右側が1970年ごろの羽田空港.
1952年(昭和27年)には,空港施設の大部分が日本に返還され,東京国際空港と改称された. 1959年(昭和34年)には,A滑走路が 2550m×45m に,B滑走路が 1676m×45m に拡張された. その後,飛行機のジェット化や大型化に対応するため,1961年(昭和36年)に A滑走路を 3000m に延長. 1964年(昭和39年)には,3本目の C滑走路が新設された. 1971年(昭和46年)には, B滑走路を 2,500m に延長した. このように,羽田空港は拡張につぐ拡張の繰り返しだった.
一方,遅れに遅れた成田国際空港(新東京国際空港)は,ようやく1978年(昭和53年)に開港. 国際線の大半が成田空港へ移転した. そして,羽田空港は国内線専用の空港となる. その後も,年々航空需要は増え続け,その需要に対応するために,新たに4本目の滑走路を整備することになった. それが,2500m のD滑走路だ.
そのD滑走路構想に,猛反対をしたのは千葉県だった. 千葉県には,不十分ではありながらも,苦労して作った成田空港がある. 羽田空港の拡張案では,千葉県の上空を飛行機が通過するだけで,騒音が増えても千葉県にはなんらメリットがない. へたをすると,使いにくい成田空港は,将来的には貨物専用の空港の可能性すらある. 結局,D滑走路の角度を変えることにより,浦安市舞浜の東京ディズニーリゾートをかすめる新D滑走路案に変更された(ディズニーが強力に,異議申し立てしたという説もある). 結果,新しい D滑走路は,現在の B滑走路とは平行にはならなかった.
この新D滑走路が完成すれば,年間の発着能力は現在の 29.6万回から 40.7万回(1.47倍)に増強される. これにより,韓国などの一部の国際定期便の受入が可能となる. さらに,羽田空港に E滑走路(C滑走路と平行)を作る案の検討が始まっている.
新D滑走路は,2/3 程度が埋め立て(埋立工法),残りの 1/3 程度が巨大な桟橋(桟橋工法)となる. 桟橋にしたのは,川崎市側に大きな多摩川の河口があり,その流れを妨げないようにするためだ. うまく河川の水が流れないと,台風時などに多摩川の水位が上がってしまう.
巨大な桟橋は,6.6m×3.30m×0.4m(厚さ)の床パネル10,697枚で構成され,1枚あたりの重量は約25tもある. 床パネルは,千葉県富津市新富で作られ,海上運搬されている.
続きを読む
↓左側が1955年ごろの羽田空港. 右側が1970年ごろの羽田空港.
1952年(昭和27年)には,空港施設の大部分が日本に返還され,東京国際空港と改称された. 1959年(昭和34年)には,A滑走路が 2550m×45m に,B滑走路が 1676m×45m に拡張された. その後,飛行機のジェット化や大型化に対応するため,1961年(昭和36年)に A滑走路を 3000m に延長. 1964年(昭和39年)には,3本目の C滑走路が新設された. 1971年(昭和46年)には, B滑走路を 2,500m に延長した. このように,羽田空港は拡張につぐ拡張の繰り返しだった.
一方,遅れに遅れた成田国際空港(新東京国際空港)は,ようやく1978年(昭和53年)に開港. 国際線の大半が成田空港へ移転した. そして,羽田空港は国内線専用の空港となる. その後も,年々航空需要は増え続け,その需要に対応するために,新たに4本目の滑走路を整備することになった. それが,2500m のD滑走路だ.
そのD滑走路構想に,猛反対をしたのは千葉県だった. 千葉県には,不十分ではありながらも,苦労して作った成田空港がある. 羽田空港の拡張案では,千葉県の上空を飛行機が通過するだけで,騒音が増えても千葉県にはなんらメリットがない. へたをすると,使いにくい成田空港は,将来的には貨物専用の空港の可能性すらある. 結局,D滑走路の角度を変えることにより,浦安市舞浜の東京ディズニーリゾートをかすめる新D滑走路案に変更された(ディズニーが強力に,異議申し立てしたという説もある). 結果,新しい D滑走路は,現在の B滑走路とは平行にはならなかった.
この新D滑走路が完成すれば,年間の発着能力は現在の 29.6万回から 40.7万回(1.47倍)に増強される. これにより,韓国などの一部の国際定期便の受入が可能となる. さらに,羽田空港に E滑走路(C滑走路と平行)を作る案の検討が始まっている.
新D滑走路は,2/3 程度が埋め立て(埋立工法),残りの 1/3 程度が巨大な桟橋(桟橋工法)となる. 桟橋にしたのは,川崎市側に大きな多摩川の河口があり,その流れを妨げないようにするためだ. うまく河川の水が流れないと,台風時などに多摩川の水位が上がってしまう.
巨大な桟橋は,6.6m×3.30m×0.4m(厚さ)の床パネル10,697枚で構成され,1枚あたりの重量は約25tもある. 床パネルは,千葉県富津市新富で作られ,海上運搬されている.
続きを読む