米国サブプライムローン(信用度の低い人向けローン)の破綻から始まった世界的な金融危機により,日本の不動産業界も深刻な状況となっている. 単に不動産業界のみならず,住宅建材や業務用ビル建材のメーカーにも大きな影を落としている. 新日軽(株)船橋製造所もそのひとつだ.
千葉県船橋市習志野4丁目の新日軽船橋製造所は,172,000m2 もある現在の敷地面積を,大幅に縮小して現在の2割程度にすると,2009年3月19日に発表した. 現在の,船橋製造所でおこなっている,鋳造,押出,皮膜部門などの素材部門を富山県高岡市と小矢部市の新日軽北陸製造所へ移管する.
また,サッシ加工,エクステリア製品加工の生産を,新日軽北陸製造所と,栃木県下都賀郡の新日軽藤岡工場へ移管するというのだ. 新日軽船場製造所内には,特定顧客向けの専用設備など,ごく一部の製造ラインのみが残る.
新日軽は,構造改革の一環として,45才以上のプロパー社員(正社員)を対象に早期希望退職(206名)や,派遣社員の契約解除などをおこない,2008年7月末までに約400名の人員削減を実施していた. その早期希望退職のための割増退職金23億円を,特別損失として2007年度(2008年3月期)決算に計上している.
しかしながら,建材事業の環境はこれからも厳しい状況が続くことなどから,さらに2009年6月末までに新日軽社員150名と新日軽グループ会社社員50名の追加希望退職を募る. 新日軽北陸製造所などへの片道キップを,家族を抱えた社員が受け入れられるわけもなく,実質上の退職勧告となっている.
新日軽(株)<旧T2.5924>の親会社は,日本軽金属(株)(日軽金)だ. 「アルミのことなら日軽金」というほど,日本を代表するアルミニウム総合メーカーだ. その日軽金の連結子会社が新日軽で,住宅向けサッシ,エクステリア商品やビジネス向けビル建材などをあつかっている. その新日軽船橋製造所は,1964年(昭和39年)4月に日軽アルミ(株)船橋工場として操業を始めてたのが始まりだ.
その日軽アルミを,1974年(昭和49年)10月に吸収合併して日本軽金属船橋工場となり,1977年(昭和52年)日本軽金属から住宅建材事業を切り離し,日軽ホクセイ住宅建材(株)を設立. 1978年(昭和53年)に理研軽金属(株)の住宅建材事業を吸収し,新日軽住宅建材(株)となる.
その後,1984年(昭和59年)2月日本軽金属グループのビル建材事業などを統合し,新日軽(株)を設立する. 日本軽金属船橋工場の建材部門は,1996年(平成8年)10月に新日軽に譲渡している. 新日軽は,1990年(平成2年)には東証第2部に上場<旧T2.5924>していたが,2000年(平成12年)に日軽金の100%子会社となったため,上場廃止になっている.
アルミニウムは,ボーキサイトを原料として生産される. ボーキサイトを水酸化ナトリウムで処理してアルミナ(酸化アルミニウム)を取り出したあと,大量の電力を使って電気分解を行って精錬する.
アルミニウムを作るには大量の電力が消費されることから,電気の缶詰とも呼ばれる. アルミニウム缶(12g)を精製するために 180Wh(ワットアワー)電力量が必要だ. 180Wh とは,60W クラスの白熱電球を,3時間点灯できるほどの電力となる.
そのため,電力コストがアルミニウム製品の価格や競争力に大きく影響する. ほとんどのアルミニウムメーカーは電力コストの高い日本から海外へ移っている. そのような状況の中でも,日軽金は唯一日本国内でもボーキサイトから完成製品までの一貫生産を行っている. その競争力を支えていたのは,自前の水力発電所を5つも持っていて,低価格の電力が手に入れることができたからだ.
市場は未曾有(みぞう)の不動産不況とはいえ,ほんとうに新日軽船橋製造所の実質上の撤退ともいえるほどの縮小をしないといけなかったのだろうか. 新日軽には,不動産不況とは別の理由があった...
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千葉県船橋市習志野4丁目の新日軽船橋製造所は,172,000m2 もある現在の敷地面積を,大幅に縮小して現在の2割程度にすると,2009年3月19日に発表した. 現在の,船橋製造所でおこなっている,鋳造,押出,皮膜部門などの素材部門を富山県高岡市と小矢部市の新日軽北陸製造所へ移管する.
また,サッシ加工,エクステリア製品加工の生産を,新日軽北陸製造所と,栃木県下都賀郡の新日軽藤岡工場へ移管するというのだ. 新日軽船場製造所内には,特定顧客向けの専用設備など,ごく一部の製造ラインのみが残る.
新日軽は,構造改革の一環として,45才以上のプロパー社員(正社員)を対象に早期希望退職(206名)や,派遣社員の契約解除などをおこない,2008年7月末までに約400名の人員削減を実施していた. その早期希望退職のための割増退職金23億円を,特別損失として2007年度(2008年3月期)決算に計上している.
しかしながら,建材事業の環境はこれからも厳しい状況が続くことなどから,さらに2009年6月末までに新日軽社員150名と新日軽グループ会社社員50名の追加希望退職を募る. 新日軽北陸製造所などへの片道キップを,家族を抱えた社員が受け入れられるわけもなく,実質上の退職勧告となっている.
新日軽(株)<旧T2.5924>の親会社は,日本軽金属(株)(日軽金)
その日軽アルミを,1974年(昭和49年)10月に吸収合併して日本軽金属船橋工場となり,1977年(昭和52年)日本軽金属から住宅建材事業を切り離し,日軽ホクセイ住宅建材(株)を設立. 1978年(昭和53年)に理研軽金属(株)の住宅建材事業を吸収し,新日軽住宅建材(株)となる.
その後,1984年(昭和59年)2月日本軽金属グループのビル建材事業などを統合し,新日軽(株)を設立する. 日本軽金属船橋工場の建材部門は,1996年(平成8年)10月に新日軽に譲渡している. 新日軽は,1990年(平成2年)には東証第2部に上場<旧T2.5924>していたが,2000年(平成12年)に日軽金の100%子会社となったため,上場廃止になっている.
アルミニウムは,ボーキサイトを原料として生産される. ボーキサイトを水酸化ナトリウムで処理してアルミナ(酸化アルミニウム)を取り出したあと,大量の電力を使って電気分解を行って精錬する.
アルミニウムを作るには大量の電力が消費されることから,電気の缶詰とも呼ばれる. アルミニウム缶(12g)を精製するために 180Wh(ワットアワー)電力量が必要だ. 180Wh とは,60W クラスの白熱電球を,3時間点灯できるほどの電力となる.
そのため,電力コストがアルミニウム製品の価格や競争力に大きく影響する. ほとんどのアルミニウムメーカーは電力コストの高い日本から海外へ移っている. そのような状況の中でも,日軽金は唯一日本国内でもボーキサイトから完成製品までの一貫生産を行っている. その競争力を支えていたのは,自前の水力発電所を5つも持っていて,低価格の電力が手に入れることができたからだ.
市場は未曾有(みぞう)の不動産不況とはいえ,ほんとうに新日軽船橋製造所の実質上の撤退ともいえるほどの縮小をしないといけなかったのだろうか. 新日軽には,不動産不況とは別の理由があった...
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